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io vivo a Carmignano カルミニャネーゼな日々

6年弱働きながら暮らしていたフィレンツェから、結婚を機にジャンニの住むカルミニャーノに引越し。フィレンツェ近郊の田舎街での生活をつづっています。
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ぎっくり背中



職場でモノを整理しているときに、背中に激痛。。

一瞬息ができなかった。

少し動くと痛みがはしる。。。


なんじゃこれー。



と思って調べたらこんなのがありました。



↓     ↓     ↓


ぎっくり背中の症状は、
・背中に急激な激痛が走った
・背中の筋肉や筋が攣ったようになった
・一定の角度に体を傾けると痛みが生じる
・息を大きく吸うと痛む

など、の症状が何の前触れもなく突然に現れます。
その痛みも激痛が走って動けなくなってしまうほどの強いものから、寝違えたような痛みのもの、ピリッと痛んでから徐々に強く痛みが増すものまで様々です。

痛む場所は、腰より少し上の辺りから肩甲骨辺りまで!
背中の広範囲に渡って現れるという特徴があります。

ぎっくり背中の原因は、運動不足や同じ体勢を続けていることによる筋肉疲労(コリ)などによって、筋繊維の伸縮性が悪く筋肉が固い状態となっていること!
柔らかいゴムがよく伸びるのに対し、硬くなったゴムは引っ張るとすぐに切れてしまいますよね?
それと同じで柔らかい筋肉は急な動きや衝撃にも耐えることができますが、固い筋肉は耐えることができず細かい筋繊維が切れてしまい損傷してしまうのです。





まさしくこれだと思われます。

絶対運動不足!!!

体がこり固まったいるのだろうなぁ。


やば~。








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お空へ。



今日、10月8日は、大切な友人の誕生日。
40歳の誕生日を、迎えるはずだった。

8月28日に他界しました。

夏に日本に帰国したのには、この友人に会うのが目的の一つでした。
「40歳の誕生日までもたないと思うから、みんなで集まってあげれたら」と妹さんから連絡があったのが7月上旬。

8月18日、福岡に会いに行って、それが最後になりました。

最後にさわった手の甲の感触や温度も、ふわふわした髪の毛の感触もよく覚えています。
思い返せば、彼女の声が頭の中に聞こえてきます。

抗がん剤の後生えてきた髪の毛はほぼ白髪で、なぜか襟足だけが普通に黒くて、それを笑いながら言ったら、
『体調よくなったら金髪にしようと思ってるんだよね~』
と言ってくれました。



2018年の正月明け、黒川温泉からの帰りに友人と福岡に寄って会いに行ったら(2011年以来だったと思う)、『イタリアでの治療よく頑張ったね!!』と言ってくれた彼女。そのあと、
『実は私もなっちゃってさ~』
と打ち明けてくれました。きっとすごい勇気が要ったと思うけど。

今年のお正月も会いに行って、そして来年のお正月も会おうねと約束したのにな。


大学時代に一緒にイタリア語を勉強し、その後彼女もイタリアに留学し、そこで今のイタリア人シェフの旦那様と出会い、卒業後も頑張って勉強してミラノの日本領事館に就職、そして結婚。
その後日本に旦那様と帰国し、東京でイタリア政府観光局でお仕事。
その間も「日本でイタリアンレストランを開業する」という夢に向かってソムリエの資格を取り、やっと数年前に故郷で念願のレストランを開けたところでした。
子ども二人にも恵まれ、人生これから、というところだったのに。

悔しいなぁ。

日本でも、イタリアでも、いっぱい思い出あるのです。

イタリア語科の5人グループで沢山の、本当に沢山の時間を一緒に過ごした大学時代。イタリアでも留学生活を一緒に過ごしたり、卒業後は会うことがほとんどなくなったのですが、たまにメールでやり取りしたりして彼女の近況を知り、彼女の生き方には常に刺激をもらっていました。

本人が一番びっくりしていると思うよ、と妹さんが言っていました。
これからも今まで通り、前進あるのみ、だと思っていた彼女。

悔しいよね。びっくりしてるよね。

弱音は一度もはいたことはない、と夏に会いに行ったときにお母さまが話してくれました。
きっと怖かったと思うけど、強く生きたんだね。

別れ際、
『娘がいなくなっても、どうぞいつでもうちに寄ってください。あなた達お友達の姿を見て、娘も生きていたらこのくらいの歳になるんだなぁって思い描かしてもらいますから』
と涙したお母さま。

生きていて、こんなにも辛いことがあるんだねぇ、とお父様と二人でお話していたそうです。

胸が締め付けられる。


悲しすぎる。



残されたご家族に、私がかけられるような言葉、見つからないのだけど、ご両親が、どうか自分たちを責めることだけはないといい、と思います。

私は自分がガンになった時、治療してしんどい時、自分を責めたことはあったけれど、生んでくれた親を責めたことは一ミリたりともありませんでした。
本当に一ミリも。
そんなこと頭の片隅によぎることもなかった。

でも母親って、『こんな体に生んでしまってごめんね』と思ってしまうらしいです。

きっと亡くなってしまった友人も、そんなことこれっぽっちも思わなかったはずだから、ご両親がそう思って悲しむことだけはしてほしくないな、と思うのです。
そんな風にご両親が感じてるとしたら、友人はきっとすごく悲しむと思うから。
そんなこと、思ってるわけないやん!って怒ると思うから。



友人にはありがとう、と言いたい。

頑張ったね、お疲れ様、なのかなぁ。
ゆっくり休んでね、なのかなぁ。


いまだに信じられない。
とても遠いところに行ってしまったのだけど、すぐそばにいるような気もするし。
私の中でずっとずっと生き続けることだけは確かなこと。

最後の最後まで前向きだった彼女に恥ずかしくないような、そんな自分でありたいと、思います。


ゆっくり休んでね、かな、やっぱり。

ありがとう。